書籍業三百余年
紅花商を営む初代五十嵐太右衞門の後を継いだ二代目が、上方との商いを通じて、 浮世草子を山形の地に持ち帰ったことから、八文字屋の歴史は幕を開けます。
浮世草子は当時、上方の庶民の間で人気絶頂だった「挿絵入り大衆小説」で、 出版元の名を取り「八文字屋本」と呼ばれていました。
これを多くの人に楽しんでほしいと始めた貸本業が評判となり、八文字屋の屋号として定着しました。
明治初期からは、版元として、教科書本をはじめとする出版事業を開始。 「名所絵図」「城下絵図」など錦絵地図などの印刷・販売にも取り組みます。
京都の八文字屋が大衆文化をリードしていたように、 これらオリジナル出版物も人々の心を豊かに満たすものでした。
昭和43年には、当時もっとも斬新な様式を持つ現本店が完成。
その規模、書籍・文具・音楽・雑貨までの幅広い品揃えなど、 その後の大型複合書店の先がけ的な存在でした。
「かぶきもの」八文字屋の挑戦
歌舞伎の語源となった「かぶく」「かぶきもの」は、常識を超えて伊達を競い、 人々を驚かす行動や身なりを好むものを指します。
「伊達者」と呼ばれた伊達政宗、「うつけもの」と評された織田信長なども こうした「かぶきもの」の一人。
その新進の考え方や行動が、世の中を変え、新しい時代を築いていきました。
八文字屋の企業風土、店づくりに通じる「かぶきもの」精神は、言わば旺盛なサービス精神。
単なる平積みから脱した立体的なディスプレー、目線に向けて傾斜したラック、 遊び場のような児童書エリア、広い通路、これまで見たこともない斬新かつ奇抜な店づくりには、 快適で心地よいもてなしの空間と、驚きや発見や感動を提供したいという思いが込められています。
既存の店づくりや、書店の常識にとらわれない新しいチャレンジを、 これからも次々と展開していきたい。
男性にとっては宝箱、女性にとっては宝石箱、そして子供達にとってはオモチャ箱・・・
出版・映像・音楽などのあらゆる文化を取り込みながら、 誰もがワクワクする世界を、八文字屋は扉の向こうに作り続けていきます。