第1回おいしい文学賞(ポプラ社)にて最終候補となり、『縁結びカツサンド』『うしろむき夕食店』など、食を通した心温まる触れ合いが食欲と心を刺激する、「おいしい」小説を生み出している冬森灯さん。
宮城県仙台市出身で、子どもの頃から小説家になりたかったという冬森さんは、学生時代、八文字屋にも足しげく通ってくださっていたそうです。
そんな、読書家であり、“食いしん坊”を自称する冬森さんと、4月から長期休館(オーチャードホールを除く)中の東京・渋谷にある複合文化施設Bunkamuraのコラボレーションで生まれた小説が、3月15日に発売された『すきだらけのビストロ』です。
文化・芸術と食の魅力がふんだんに味わえる本書について、冬森さんにお話を聞きました。
すきだらけのビストロ うつくしき一皿
著者:冬森灯
発売日:2023年3月
発行所:ポプラ社
価格:1,815円(税込)
ISBN:9784591177464
イルミネーションに飾られた小さなサーカステントにキッチンカー、お腹がぐうと鳴るいい香り。それらに出会ったあなたは運がいい。
そこは期間限定で現れる幻のビストロ「つくし」。
猫を思わせるギャルソンとシロクマのようなシェフが、抜群においしい料理で迎えてくれる場所だ。
キッチンカーの赴くままに店を開く「つくし」だが、きまっていつも芸術のある場所に現れる。ピアノの演奏が聞こえる野外劇場、絵画が飾られたマルシェ、映画が上映されている砂浜……。
おいしい料理と素敵な芸術は最高のマリアージュ。弱った心と体をふっくら満たしてくれるので、どうぞ夢のようなひと時を楽しんでお帰り下さい。〈ポプラ社公式サイトより〉
文化・芸術×食をテーマに書きたいものを模索
――『すきだらけのビストロ』は、WEBサイト「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」に連載された作品をまとめたものですね。
2021年春に出版した『うしろむき夕食店』を、書店員さんが推薦する「私のBunkamuraドゥマゴ文学賞」の特別企画「心をチャージしたいときに読む本」の1冊に選んでいただいたことをきっかけに、Bunkamuraさんからお声がけをいただきました。
当初はBunkamuraさんのイベント・Bunka祭2021に「文化・芸術と食」をテーマに2編を書き下ろしたのですが、ありがたいことに好評をいただき、続編として書かせていただいた4編に書き下ろしを加えたのが本書です。
――6編にはそれぞれ、音楽、美術、演劇、ミュージカル、映画、能と6つの芸術が登場します。
Bunkamuraさんが運営する6つの施設について書かせていただいています。全面的なご協力のもと、施設の裏側の見学や、舞台や映画を鑑賞させていただいたり、映画の編成に携わっている方から現場のお話を伺ったり。お能に関しては人生で初めて触れたので、能楽堂の方にゼロから手ほどきを受けました。
2021年10月から2023年2月までの連載でしたが、ミュージカルの章で登場した「コーラスライン」など、Bunkamuraさんで公演された、本作の公開月とタイミングの合う作品は、ご相談した上で、実際に小説の中に盛り込んでいます。
そのようにご協力やお題をいただけたのは執筆の助けになりましたし、そのお題を踏まえて、自分が書きたいものやどんな工夫ができるかを模索していきました。
舞台は、居ながらにして芸術×食を堪能できる“移動式”ビストロ
――本作の舞台となるのは、兄弟2人が運営するキッチンカーとサーカステントの移動式ビストロ「つくし」です。彼らは行く先々でさまざまな悩みを抱える人物をお客様として迎えますが、この期間限定のビストロというアイデアはどこから生まれたのですか?
企画が持ち上がったのがコロナ禍の2021年だったこともあり、外出が難しい状況でもみなさんにご自宅で文化に触れていただきたいという趣旨でお声がけいただいています。
小説でも、日常のワンシーンとして文化や芸術に触れることができるといいのではないかということで、訪れた人が座ったままでも見えてくる景色が変わるようなシチュエーションを考えた結果、いまの形になりました。
――読んでいると居ながらにして芸術や食の豊かさに触れられるのはもちろん、彼らとともに旅をしているような気分も味わえました。
そういうふうに受け取っていただけたらと思って書いていたのでうれしいです。
子どもの頃に「花の子ルンルン」というアニメを見たのですが、主題歌の最後に「いつかはあなたの住む街へ 行くかもしれません」という歌詞があり、わくわくしました。なんとなくそれを思い出して、自分の住む街に素敵な何かが来たらうれしいなという気持ちも込めています。
――「ビストロつくし」を営むのは、有悟と颯真の兄弟です。それぞれ「シロクマのようなシェフ」と「猫を思わせるギャルソン」と表現されていて、その風貌の2人が登場すると、読んでいる私たちもビストロへと舞台が切り替わるようでした。つくしでコースの最初に供されるフルーツシャンパンも、ビストロのシーンへのスイッチとなっていますね。
アペリティフ(食前酒)はそもそも食欲増進の役割がありますが、それと同時に気持ちもぐっと食事に向かっていくものではないかと思います。
あとは、やはりレストランに行ったらシャンパンを飲みたいなと(笑)。それも、できるならよりおいしく味わいたいですし、季節感も出せるかなと思い、フルーツシャンパンにしました。
――ぶどう、洋梨、甘夏など、文章からも鮮やかな色合いとシュワっとした泡立ちが感じられて、たちどころに映像が浮かびます。
フルーツシャンパンは、特においしいぶどうがおすすめです。半分に切って入れるとジュワッと香りが広がるので、ぜひやってみてください。
芸術も人間関係も、答えはひとつでないからおもしろい
――のんびりおおらかな有悟と堅実な颯真は、見た目だけでなく性格的にも異なりますね。
私が取材して強く惹かれたのは、文化や芸術の作り手たちの、それが「好きで仕方がない」という姿でした。音楽家が演奏会で曲を弾き終えたときにふと見せる、「楽しかった!」という表情などは素敵ですよね。
食も文化芸術のひとつととらえるとしたら、おそらく有悟も「好きで仕方がない」という表情で料理をしている人間だろうなと思ったんです。
ただ、彼だけだと店舗の運営という現実的な面に向き合うのは難しそうだったので(笑)、引き締め役、まとめ役となってくれるしっかり者がそばにいてくれたらいいだろうなと。そこで、颯真が手伝ってくれる形になりました。
――その芸術家の姿にも通じますが、「好きなもので人生を満たしたら幸せだよ」というメッセージが胸に響きました。
「好きなもの」は普段からみなさん持っていると思うんですけれど、憂き世の中でなんとなく見えづらくなってしまっているかもしれません。この作品もご自身の中にある好きなものに気づくきっかけにしていただけたらうれしいですし、好きなものを見つけて関わっていく中で、自分の中にある輝きや力を見つけてもらえたらいいなと思っています。
――物語が進むにつれて、ゲストだけでなく2人にも紆余曲折があり、現在の関係性になっていることが描かれます。彼らに限らず、人と出会い、向き合うことで成長していく姿も冬森作品に通底するテーマのように思います。
自分のテーマみたいなものは固定しないようにしているのですが、人の魅力という点でいえば、今回多くの方に取材させていただいて、作り手だけでなく受け手に関してもたくさん感じることができました。人の素敵なところ、いいところを見ていきたいですし、きっと誰にでも素敵なところはあって、見方の問題なのではないかと思います。
――その「受け取り方次第」というスタンスは、作中で描かれる芸術との向き合い方にも通じていますね。
「これ」と答えを一つに固定できないものが芸術であり、いろいろな感じ方や捉え方ができるのが素晴らしい、おもしろいところでもあるのではないでしょうか。
たとえば同じ舞台を誰かと一緒に見たときに、印象に残るものってそれぞれ違いますよね。「自分が元気をもらった」「あそこが笑えた」という場面が違っても、その違いがおもしろかったり新たな気づきを得たりと、語らいながら食事をすることで、楽しい時間が過ごせます。
文化や芸術の中に見たものや自分の印象に残ったことは、自分の中の何かと響き合い、引き出されている。芸術とはそのようなものではないかと思います。だからこそ、自分にも力をくれるし、人と関わった時に、自分と他の人の違いをも肯定的に見せてくれる側面があると思うのです。
――店名の「つくし」も、実は憂いを素敵に変えるキーワードですね。
本作を書いていて、見つけられてうれしかったことの一つです。
いまはなかなか大変な世の中で、ついマイナスの側面ばかりが見えてしまいます。ですが、人間は見たいものを見ていく生き物ではないかと思いますし、実際にそういった機能が脳にもあるようなので、見方を変えれば、つらい世の中でも楽しみや喜び、希望をみつけていけるのではないでしょうか。それはまさに文化や芸術が持っている力の一つでもあると思っています。
執筆の過程で著者本人がハマってしまった料理とは?
――冬森さんのブログにはおいしそうな料理が度々登場していますが、作中のメニューも実際に作られたそうですね。
すべてを作れたわけではないですけれど、おいしく味わいながら読んでいただきたいという思いがあるので、作れるものに関してはなるべく自分で作って食べて確かめてから書くようにしています。
特にクスクスは何回か作っていたらすっかりハマってしまいまして、1か月ぐらいは毎日お昼にクスクスを食べていました(笑)。
――冬森さんは美術検定1級と学芸員資格をお持ちとのことですが、芸術とのこれまでのかかわりについて教えてください。
小さい頃に母によく美術館に連れて行ってもらったのですが、そのころからなんとなく「芸術ってすごく素敵」という意識があったように思います。楽器を習ったり、鑑賞専門ですが美術が好きだったりしたので、社会に出てからは、自分の誕生日には必ず半休や有休をとって美術館に足を運んでいました。
美術検定を取ったときも、将来小説を書くときに何か役に立つのではないかと勉強していたところがあったので、今回はそれが少しでも役に立っていたらうれしいですね。
――志されたのは、美術よりも小説が先なんですね。
「小説を書きたい」という思いは11歳のときからあって、小学校の卒業文集にも作家になりたいと書いています。でも、力不足で10代、20代、30代と何度も筆を折ってきました。本当にもうこれが最後と応募した作品で、本作の編集さんに見つけていただいてデビューにつながったという経緯があります。
――デビューのきっかけになったのが、「おいしい文学賞」への応募とのことでしたが、これまで書かれた3作は、すべて食にまつわる小説です。
書きたいなと思うのは食べもののことですし、食べものを書いているときが一番幸せです。食べることはパーソナルなことですし、食には人間関係も大きく影響しますよね。苦手な人と食べるご飯はあまりおいしく感じられなかったり、ガチガチに緊張しているときは味がわからなかったり。反対に、何でもない塩むすびでも大好きな人と一緒に笑いながら食べたら、ものすごいごちそうになるのではないでしょうか。心と食は結びつきやすいものだと思うので、これからもそこから生まれる情景を書いていきたいです。
(記事/ほんのひきだし編集部 猪越)
※本記事は「ほんのひきだし」に2023年4月6日に掲載されたものです。
※記事の内容は、執筆時点のものです。