山形県民なら奥田政行さんを知らない人はまずいないだろう。鶴岡市内にある『アル・ケッチァーノ』(以下、アルケ)のシェフ、その人である。
奥田さんにはシェフのほか、もうひとつ別の顔がある。そう、応援団長だ。学ランではなく、コックコートを着た応援団長だと私は思っている。
アルケを開業した2000年当初は、地元庄内の食材をPRする応援団長だった。藤沢カブのような失われつつあった庄内の在来品種や、埋もれていた食材を発掘。原石のようなその食材を手塩にかけて磨き上げ、庄内の宝石としておいしい料理をアルケで提供していた。
開業した頃、庄内の食材を抱え、深夜バスで山形と東京を行き来していた。
その食材のひとつが、丸山光平さんの羊だ。アルケで丸山さんの羊を賞味したことがある人も少なくないだろう。だだちゃ豆を食べさせて育てた、羊特有の臭みがない肉だ。
丸山さんが育てた羊を都内のレストランで使ってもらうと、奥田シェフが営業回りをしていたというのだ。しかも無償で。
その話を本人から聞いたとき、腹を抱えて笑いつつも呆れてしまった。なぜなら食材の売り込みは料理人がすべきことではないからだ。奥田シェフの行動は常識を逸脱している。
常識では考えられないことがまだいくつもある。
レストランによっては、シェフズテーブルを設けている店もある。シェフ自身が目の前で作った料理を供する、大切な人のための「特別シート」だ。
アルケにはシェフズテーブルではなく、「ファーマーズシート」があった。庄内の生産者を招き、彼らが育てた食材を用いた料理をふるまっていた。「あなたの食材があってこそのアルケです」という感謝の念を伝えるための特別シートだった。
近年生産者と直接取り引きをする飲食店が増えているが、以前は卸業者や市場などから食材を仕入れる飲食店が主流だった。
まだ地産地消という概念がなかった時代、地元の食材とその生産者をPRする活動を続けていた。それが奥田シェフだ。
アルケ開業から4年目、「食の都庄内」の親善大使に任命。その後、応援団長の活動範囲は庄内から山形全体に広がっていった。
奥田シェフは、庄内空港にも影響を与えた。庄内空港が「おいしい庄内空港」と呼ばれるようになったのだ。食材の持つ力が空港の名前を変えてしまうなどありえないことだった。シェフの常識はずれな活動が起爆剤となり、常識をくつがえしたと言ってもいいだろう。
やがて奥田シェフは日本全国を東奔西走するようになっていく。全国の地方自治体などから「原石」を磨いてほしいと依頼され、日本の応援団長になっていった。
私も奥田シェフに地方食材のPRを頼んだことがある。うどん県のブランド牛「オリーブ牛」をPRしてもらうため、講演会や食事会を開いてもらった。クライアントは地方自治体。
潤沢な予算があるわけではない。にも関わらず嫌な顔ひとつせずいつも気持ちよく引き受けてくれた。奥田シェフに応援してもらったおかげで、オリーブ牛は世界に広がっていった。
その頃の奥田さんの活動は、『地方再生のレシピ』(共同通信社)に詳しい。食の都庄内をPRしたように、全国各地を食材で町おこしをしようという、処方箋としての地方再生のレシピを数多紹介している。
長らく欠品中だったが、現在重版中とのこと。八文字屋に並ぶ日も近いかもしれない。
この度、『地方再生のレシピ』の第二弾が発売された。『日本再生のレシピ 地方再生のレシピ2』(共同通信社)だ。前作のように地方再生のレシピも盛り沢山。料理の作り方も掲載されている。プロの料理人も私のような料理好きにも参考になるはずだ。
が、私は本書を「人間再生のレシピ」として読んだ。
人間再生といっても改造人間を作ろうというわけではない(あたり前だけど)。
人間再生とはどういう意味か。
私は飲食店を取材させていただく機会が多いのだが、シェフから「コックが出ていって帰ってこない」という話を聞くことがある。
じつは、アルケでも逃げ出すコックが多いという。
先述したように、うどん県での講演終了後、奥田シェフと一緒に新幹線で東京に帰ってきた。その車中、「落ちこぼれでも見捨てない人材育成のレシピ」を聞かせてもらった。これまで逃げ出した若いコックを何度も連れ戻したことがあるという話だった。
高卒で入社し、アルケの厨房に配属された中川遼太郎君もそのひとり。
逃げ出した中川君を連れ戻しに行ったときの逸話が本書に書かれている。腹をすかせているであろう中川君に、奥田シェフは屋台で売っていた温かいエビ汁をご馳走した。その後、「もう一度厨房に立ってほしい」という親心で、近くの屋台で売っていた包丁を中川君に贈った。
シェフの説得もあり、中川君はアルケに戻る決心をした。そんな中川君に対し、奥田シェフはとんでもない仕打ちをした。中川君のおでこに赤サインペンで「ヤリマス」と書いたのだ。親でも絶対しない体罰だ。
しかも中川君の顔写真を携帯で撮影。本人からすれば屈辱でしかない。「虐待だ!」と訴えられても仕方がないだろう。
「ヤリマス」と書かれた中川君の顔写真が本書に掲載されている。自分だったらそんな屈辱的な画像の掲載を断固拒否する。
ところが、だ。中川君は画像の掲載を心良く承諾したというのだ。
それはなぜか。
ヤリマス宣言の赤い文字は、逃亡した中川君を辱めるために書いたものではないからだ。
シェフと一緒にアルケに戻ってきた中川君を先輩たちは「怒ってやろう」と思っていた。そりゃそうだろう。けれど、後輩のおでこを見た瞬間、先輩たちは吹き出してしまった。一発殴ってやろうと思っていた(かもしれない)先輩も、それでチャラ。
一触即発の危機を赤サインペンの文字が救ってくれたのだ。おでこの赤い文字を見れば、怒られないですむとシェフは踏んでいた。
本書には中川君のインタビューも掲載されている。赤っ恥な赤サインペンの画像の掲載を承諾した理由を中川君自身が語っている。
中川君、キミがうらやましいよ、ほんと。逃げ出したことはないが、解雇歴が二度あるからだ。奥田シェフのように、落ちこぼれでも見捨てない上司がいれば、私も仕事を続けられたかもしれない(いまさらだけど)。
日本を、地方を再生するレシピが存在する。もちろん人間も。そのことを奥田シェフが教えてくれる。
『食事会のお知らせ』
奥田シェフのレストラン『ヤマガタサンダンデロ』(東京銀座)で、岐阜県飛騨の老舗旅館『蕪水亭』の北平嗣二さんとのコラボ食事会が6月22日(木)18時半から開催される。
奥田シェフと北平さんの薬草料理を食べてもらう食事会だ。
問い合わせ/ヤマガタサンダンデロ
電話/03-5250-1755
https://sandandelo.theshop.jp/