緑屋から転身、妻と二人で開店
珈琲ひまわりは、七日町大通りのAZビル(山形市中央公民館)の真向いを東へ入る七日町一番街通り(旧・元三日町通り)にある。突き当りは通称「赤門」である。店はそこまでのほぼ中間の北側通り沿いに位置し、昭和四十六年十一月創業から半世紀以上が経つ。
マスターの堀部二男さんは川西町の出身で、高校卒業後は東京の緑屋に勤めていた。緑屋は月賦販売を最初に始めた百貨店として知られ、全国に四十七店舗を構えていた。昭和四十二年十月、その緑屋が山形の七日町大通りにも進出した。場所は現在「ほっとなる広場」のある所で、緑屋の前には津島屋のビルがあった。それと同時に、堀部氏も山形店に勤務、検品係として働いた。
二年後、東京渋谷店で研修があった。その帰りの列車の指定席の隣りに座ったのが、次の日に山形店にいた前田多栄子さんだった。そんな偶然な出会いが結婚となった。しかし四十六年九月、堀部町さんが仙台店へ転勤になった。多栄子さんの実家は前田呉服店といい、今の喫茶店と並んであった。山形育ちの多栄子さんは、どうしても山形を離れたくなかった。そこで、多栄子さんは呉服店を閉めた親を助けるために喫茶店を始めようと考えた。
そして堀部さんも緑屋を辞め、同年十一月に二人で「珈琲ひまわり」をスタートさせた。「ひまわり」の店名は、「お客様は太陽である」という考えから生まれた。店は呉服店の隣を借り、創業から九年後の昭和五十五年に建て直して現在の自分達の店とした。呉服店だった土地は駐車場にした。街なかの貸駐車場としては早い方であった。
この通りだけで九軒もあった!
鉄骨三階建ての建物は当時としては西洋風で珍しいと評判を呼び、客寄せに功を奏したという。五十年代に入ると、元三日町通りだけで喫茶店が九軒もあった。当時を堀部さんが語った。
「大通り口から『れもん』『ウィンナーワルツ』『みどり』『ジャワ』、次にうちがあって『煉瓦家』『ふらんせ』『ラメール』『紫苑(しおん)』と並んでいました。『ジャワ』はその後『あんず』という店になり、隣りに『光文堂』という古本屋がありました。『ラメール』は萬国社さんの店でした。当時は店を開ければお客が次々と来てくれた時代でした。うちでも若い男女が奥のボックス席でよくデートをしていました。見合いの席などにも使われ、実際に結婚したカップルもたくさんいました。客層も目的も様々でした。いい時代でしたね」
早朝開店の理由は…
四十年を物語る飴色のカウンターには、主に夏に出すブラックアイスコーヒーのひときわ大きな水出しがある。普段はサイフォンで抽出した日替わりコーヒーが人気だ。普通十グラム挽くところを十三グラムと多く挽いているのでいつまでも冷めずに美味しいコーヒーができるという。
「最近までグランドホテルの泊まり客が朝早くコーヒーを飲みに来てくれていました。今も早朝のお客さんはいるので開けないわけにはいかないんです。常連さんは命です。生きるために一生懸命まじめに続けていきたい」
外の通りは平成六年七月にアスファルトから石畳の緩やかなカーブを描くしゃれた通りに様変わりした。通りで店を見上げると、ヨーロッパの伝統ある街角に立ったような気分がした。
珈琲ひまわり
山形市七日町2−1−38
TEL. 023-641-2566
営業 7:30〜19:00
定休日 第4日曜日
(出典:『やまがた街角 第85号』2018年発行)
●『やまがた街角』とは
文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。