創業の地(山形市印役町4丁目)


山形名物玉こんにゃくを開発したヤマコン食品(有)

山形県内のどこの観光地やイベント会場でも必ずと言っていいほど売られている山形名物玉こんにゃく。その玉こんにゃくを明治時代から作り続けているのがヤマコン食品である。

明治20年(1887)、長谷川松四郎こんにゃく店として印役町で創業した。江戸時代の奨励産業として味噌や醤油の醸造業で栄えた土地だったため、創業前は味噌・こうじ屋であった。初代、長谷川松四郎は山寺街道を往来する人々のために、串刺しの団子に似せた玉こんにゃくを全国で初めて開発、販売した。醤油味はみたらし団子からの発想だったとか。店の傍には堰があり、清澄な水が流れ、その面影は今も敷地内を細く注いでいる。



初代・長谷川松四郎


二代目松太郎は戦時下の店を支えた苦労人であった。経済統制のために原料を間沢や海味、大井沢あたりの農家で栽培してもらっていた。人一倍商売熱心な人で、長く緩やかな坂道の街道をリヤカーで七日町など町場へ売りに出たり原料運びをしていた。妻のテイは双月の紙漉屋の娘であった。



移転してから使い続けている型入れの木枠


三代目が開発したこんにゃく製造機2号機


二代目同様厳格な人柄の三代目松雄氏は現在も創業地の家に住んでいる。この三代目の時代は終戦が落ち着いた頃で、大いに玉こんにゃくは売れ生産が追いつかなくなった。そこで昭和28年、業界初の玉こんにゃく製造用の機械を自社開発した。いよいよ大量生産が可能となり、玉こんにゃくは庶民の味、観光地の味として広まっていった。そして昭和43年、工場の近代化をめざし現在地へ移転した。



漆山の会社前で、長谷川松寛会長(右)と長谷川晃一社長


戦後の経済成長とともに商品開発に励み業界の組合長も歴任したのが現在会長職にある四代目松寛氏である。こんにゃく芋生産が日本一の群馬や大阪で修業後、製造畑の人間にふさわしく帯こんにゃく、ちくわこんにゃく、波こんにゃくなど食の多様化に対応した多くの商品開発を手掛けている。

この四代目会長の創作力は子息の五代目社長晃一氏にも引き継がれている。四年前に冷やして食べる「冷ったい玉こんにゃく」を独自開発、すでに販売もしている。営業職を経て昨年10月に社長に就任、今は全国のデパートに出張するなど新しい取引先の開拓にも奔走している。

「弟はまだ大学院にいて、将来は新しい食品製造機を作りたいと勉強中です。妹はこの会社で製造を担当しています。親子兄弟皆で会社を盛り立てていきたいし、その過程でもっと成長していきたいと思っています。」

日大山形高校時代は野球部。体育会系のガッチリした体格と端正な言葉遣いで惚れ惚れとさせる好印象の青年社長である。「いろんな可能性に挑戦していってほしい」と、会長は熱い期待を寄せている。



一晩寝かせて弾力の出た出来たての玉こんにゃく


小結しらたきの手づくり作業


製品のいろいろ



ヤマコン食品(有)
山形市大字漆山字梅ノ木2015
TEL. 023-687-2223

(出典:『やまがた街角 第29号』2017年発行)
※一部表現、寄稿者の肩書等に掲載誌発刊時点のものがあります。

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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。