「人生で最も悩み多き季節を生きる君たちへ」というナレーションから始まるEテレの「理想的本箱」。
静かな森のなかにあるプライベート・ライブラリー「理想的本箱」を舞台に、漠然とした不安や悩みを抱える「あなた」のためにブックディレクター・幅允孝(はば・よしたか)さんが選書を行い、出演する吉岡里帆さん、太田緑ロランスさんと、その作品の魅力を語り合う番組です。
今年の6月~7月にはシリーズ第3弾が放送され、ご覧になった方も多いのではないでしょうか?
第1弾・第2弾の放送で取り上げた24冊に加え、「選書Others」として新たに32冊をセレクトした『NHK理想的本箱 君だけのブックガイド』が、NHK出版より7月22日に発売されました。
ブックディレクター・幅允孝さんに、番組やブックガイドのこと、ご自身の読書や図書館に対する思いについてお聞きしました。
幅允孝(はば・よしたか)
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなどさまざまな場所でライブラリーの制作をしている。安藤忠雄氏が設計・建築し、市に寄贈したこどものための図書文化施設「こども本の森 中之島」では、クリエイティブ・ディレクションを担当。最近の仕事として「早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)」での選書・配架、札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン、サンパウロ、ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。神奈川県教育委員会顧問。
著者:幅允孝 NHK「理想的本箱」制作チーム
発売日:2023年7月
発行所:NHK出版
価格:1,320円(税込)
ISBNコード:9784144073014
【ブックガイド目次紹介】
・第1章 将来が見えない時に読む本
・第2章 母親が嫌いになった時に読む本
・第3章 父親が嫌いになった時に読む本
・第4章 もう死にたいと思った時に読む本
・第5章 ひどい失恋をした時に読む本
・第6章 もっとお金が欲しいと思った時に読む本
・第7章 同性を好きになった時に読む本
・第8章 人にやさしくなりたい時に読む本
人間が頼れる「本」をテーマ別にセレクト
――このブックガイドの読みどころやポイントについて教えてください。
番組が「誰かの悩みに対して本で押せる背中がないものか」というコンセプトからスタートしましたので、中にはシリアスなテーマもあります。「母親が嫌いになった時に読む本」とか「もう死にたいと思った時に読む本」とか。
困った時に人間が頼れるものの一つに「本」というものがまだあるといいなと思っています。
読んだからと言って何か直接的に実効性があるかどうかはわからないけれど、何かぎゅっと狭まってしまった視界を広げてくれたり、一つの事象を別の角度で見せてくれたり、自分と違う考え方の人が世の中には確かに存在していることを教えてくれたりというのが、僕は本というメディアの特性だと思っています。そういう本をテーマ別におすすめする、という事が出来たらと思いました。
若い世代に向けた番組ではあるのですが、実際の視聴者の方の年齢層はかなり幅広いんですよね。テーマも「もっとお金が欲しい」とか「人に優しくなりたい」とか、普遍的なものだったりするので、いろいろな人に読んでもらえる本だと思います。
――8つのテーマはどのように選んだのですか?
図書館などに寄せられた声を集約して、そこからどういう悩みに寄り添うのがよいだろうと制作チームと一緒に考えました。あまり抽象的にならず、本当にある、目の前の困った状態を体現するものになるよう、スタッフ全員でアイデアを出しながら選んでいきましたね。
――シリアスなテーマが多いということで、選書は難しかったでしょうか?
難しかったです。8つのテーマはどれも選書で悩ましいものでしたが、特に印象的だったのは「もう死にたいと思った時に~」です。人によって「死にたい」と感じてしまう状況が違うので、一人ひとりに対してピンポイントで選書していくという事が難しい。
だから逆に、1つのテーマに対して3冊挙げる上で、その3冊がなるべく問題に対していろいろな角度から光を当てているような、多種多様な本が紹介されているという状態は作りたいなと思いながらやっていました。
あとは、「同性を好きになった時に~」もそうですね。僕自身はヘテロセクシャルなので、他のジェンダー思考を持つ方たちが番組を見た時にどんな心持ちになるだろうかというのを、きちんと想像しながら進めていこうと心がけました。一言一言、誰かを傷つける可能性があるかもしれないと考えて。
それは僕に限らず、吉岡さんもロランスさんも、どのテーマでも言葉選びは注意深く、見えない誰かのことを慮りながら進めるようにしています。
――放送ではテーマに対して3冊紹介されていますが、実は1つのテーマに対してどのくらい選書されて吟味されているのでしょうか。1テーマで候補は何冊くらい検討されましたか?
1テーマに対して、大体10冊くらい最終候補として選びます。制作チームに候補の本を読んでもらって、そこから選書会議を何度も重ね、脚本を進めてみてダメだーとか、著作権者の許可が下りない、といったこともある中で3冊に絞っていきます。
――ブックガイドでは、放送で紹介された3冊のほかに「選書Others」として4冊紹介されています。これは番組にはない、ブックガイドならではのものですね。
「選書Others」には、番組で扱いたかったけれど扱えなかったものだけでなく、新たに選びなおしたものもあります。やっぱり選書はバランスなので、ラインアップを見ながら考えていきましたね。
――幅さんのお仕事でライブラリーをつくるとき、隣り合う本のつながりまで気を配られていると伺っていますが、ブックガイドでも、掲載の並べ方を考えられましたか?
ブックガイドの流れについては担当編集者から客観的な視点をいただいて作っている部分が大きいですね。テレビだと消さない限りは流れ続けるけど、本は自発的に読み進めてもらわないと次のページにいかない。
そういう状況でどういう風に車輪を転がしていくか、という点で色々と工夫していますね。番組では最初のテーマが「死にたい~」でしたが、それから始めるのは重すぎるのではないかということで、ブックガイドでは「将来が見えない時に~」が第1章になっています。
――テレビならでは、ということで言うと、“映像の帯”(本の内容の紹介シーン)が、毎回趣向を凝らした演出で印象的でした。最もお気に入りの“映像の帯”はありますか?
“映像の帯”はどれも好きですが、僕は『カミングアウト・レターズ』(「同性を好きになった時に読む本」で紹介)の“映像の帯”はやっぱり、今見てもぐっときます。あともう1つは『百』(「父親が嫌いになった時に読む本」で紹介)ですね。あれは実際の親子で“映像の帯”を演じていらっしゃるので、キャスティングのこだわりもすごいですね。
〈続けて、あれもこれもと挙げていただき……〉
選べない。1つに絞るのはなかなか難しいです。
選書は正解がないもの。だからこそ仕事に対する誠実さが重要
――人と本をつなぐ「結節点」を見つけ出すことを大切にされていると、ご著書『差し出し方の教室』で触れられていました。番組ではテーマ(悩み)に対して本を差し出すという事をされていますが、顔の見えない相談者に対して、結節点、悩みの解決の糸口になりそうなポイントをどのように見つけていかれたか教えてください。
例えば「父親が嫌いになった時に読む本」のテーマだったら、まずは自分の中で「なぜ父親が嫌いなのか」という妄想、想像を繰り返して、なるべく多面的に糸口を探していくことをしました。
あとは、選書して出したものを制作チームに紹介する時に、感想や意見を聞くようにしていますね。とにかく選書って自分一人でやると独りよがりなものになってしまいますので、なるべく他者の視点や意見を入れるように心がけました。
この番組は匿名の方、モニターの向こうにいる方が本を差し出す相手なので、こちら側からいろいろ手を伸ばしてみて、うまく掴んでくれるかなという感覚で。言い換えると3冊というのが重要で、1つ目の手を掴んでくれなくても、もう一方の手に別の本が準備してあるわけですよ。これがダメだったら、こっちがある。これもダメだったら、次はこっちがある、みたいな。
よく言うのですが、その日に読みたいと思う本を自分で選ぶのって、ご飯を選ぶのに近いものですから、「今日はどうしてもお肉だ」という日もあれば、「今日は冷ややっこでいいや」という日もあれば、「とにかく米が食べたい」、「甘いものが食べたい」という日もある。それって常に変わり続けるもの。
だからこそ複数冊数で、しかも、本としての種類というか、読むことでもたらされる感触、色彩みたいなものが違った本を選ぶことが重要なのかなとは思います。
一方で、選書って正解がないものとも言えます。正解がないからこそ、自分のなかで「この本の提案は納得ができる」というか、仕事に対する誠実さみたいなものを自分のなかでどこに形作るかが重要で。自身の知っている本に対して、その知見と読み方のアイデアを出し切って、確かに誰かに渡せたなという、そういう実感を重ねていく事が大切だと思いますけれどね。
――本書のあとがきで、「止まったり、戻ったり、能動的に自分のペースでコンテンツを進められるのが本」というメディアの特徴だと述べられています。この点について詳しく教えてください。
どんどんメディアに対する人の接し方が受け身になっています。YouTubeにしてもNetflixにしても、アッと思った時に止めて考えることがあまりないじゃないですか。世の中全体がどんどん受動、受動になってきている。
ちょっと言い方がよくないかもしれないですが、あまり人がものを考えなくても、そこそこ楽しく生きていけるし、そういうテクノロジー、システムがどんどん発達してきています。時間の奪い合いが激しいのはなぜかというと、他者の時間を奪うと富になるから。受け身ながら人を没頭させるコンテンツをつくる会社などは大きな利益を上げていて、アミューズメントとしてはよくできているなと思う一方で、それが個々の健やかな人生とどれだけつながるのかというと、なかなかつながりにくい世界ではある。
本来は人間が道具として使いこなすべきところを、テクノロジーやシステムのほうが、それを気づかせないようなさりげなさで、人の行為や思考を規定しながら促す方向に行っているなと最近特に感じます。
そういう中で、人間が自分で考えて、迷いながらも自分で判断して自発的に生きていく上では、本っていうのは果たせることがまだある大事なツールだと思うんですよね。まあ、全人類が家畜化したら、それはそれで楽なのかもしれないけれど……。ただ、ジョージ・オーウェルの世界になっちゃいますからね。僕はそういうのに対して、抗いたい派なので、そういう意味で本を大事にしたいなというところはありますね。
本の読み方は皆オリジナル。ネットとリアルも使い分けが大事
――幅さんご自身の読書について教えてください。よく行く本屋さんはありますか?
今は月の半分くらい京都にいますので、近所の恵文社一乗寺店によく行きます。選書するために行く時は総合書店がニュートラルでいいですね。なんかもう色々と、へんてこな本がいっぱい出ているなと思いながら見ていくのも面白いです。
――好きなジャンルはありますか?
僕はランダムで、雑食です。
――ネット書店は使われますか?
もちろん、使いますよ。使い分けですね。ネット書店も使います。リアルな書店にも足を運びます。両方です。
「バイリテラシー」というんですかね。自分で選べるという状態が、今は一番大事だと思います。購買に限らず、こういう時は紙で読んだ方がいいよ、こういう時はデジタルでいいんじゃない?みたいな読み方の違いって、学校教育で誰も教えてくれないじゃないですか。
本の読み方って、歩き方とか自転車と一緒で皆オリジナルです。例えば、本に手を加えるとか、メモを書いて読むとか、それを「本を汚すなんて許せん」って人もいるし。こういう時は紙の本、こういう時は電子で、こういう時はソーシャルメディアを使う、とか。
そういう本と読書に関するリテラシーを高めるために、まだやるべきことが沢山ある場所こそ、図書館や学校の教室なのではないかという気はしていますけれどね。
――「本を読むことが日々のちょっとした駆動力になればそれでいい」という言葉を幅さんのご著書で読んでとても記憶に残っています。それでもあえて、幅さんご自身には“人生を変えた一冊”があるかお聞きしてもよいですか?
秘密ですね。決定的なというよりは小さな一冊一冊の積み重ねが心に重なって、重なって、積層していって。なんかこう、気が付けば大きな一歩になっているとか、大きな動きになっているとか。そういうものなんじゃないかなと思いますけれどね。
やっぱり一冊一冊は細やかであるべき。急に一冊で人生が変わりすぎるのも、それはそれでいいとは思いますけれど、「そんなにイージーじゃないだろう、人生も本も」みたいな気もしちゃうし。ちょっとへそまがりですかね、そういう答えは(笑)。
公共図書館の理想的な選書とは
――図書館の仕事も多くされていますが、公共図書館の理想的な選書とは、どのようなものだとお考えですか?
「公共の精神」と言いたいところですが、「公共の精神」が目に見えないので、僕は少なくともインタビューワークで関わった目の前の一人ひとりの声を大事にしたいと考えます。本というのはみんなで読むものではなくて、一人で読むものだから。
その、孤独に陥らざるを得ない本の特徴を考えると、まずは1人の読者を見つける事が重要で、そこに寄せられた声に対して答えていくという事が、ひょっとしたら、2人目、3人目……5人目と続く読者を見つける事になるのではないかという気がしています。
それから公共図書館の選書は、公共の番組に近いものがあると感じています。1冊の本を選び、紹介する行為によって、ある人は嬉しいと思い、またある人は残念に思ったり傷ついたりする可能性が常に隣り合わせで存在する。
思わぬところで人に刺さってしまう痛みだったり、辛さなどがあって、そこに対してどれだけ想像していく努力ができるか。そんなひと匙の慮りがもてるかどうかがとても大事なのではないでしょうか。
――今後、どんな図書館をつくってみたいですか?
今年の5月、京都に「鈍考」という私設図書室をつくりました。「時間の流れの遅い場所」を実現することが「鈍考」をひらいた意図です。
3,000冊の蔵書と、手廻しで焙煎した深煎りの珈琲をネルドリップで淹れる喫茶を併設。ゆっくりと珈琲を飲み、本のページを捲る音が静かで心地よい空間です。入り口のロッカーに携帯電話を預けることができ、ゆっくり流れる時間に身を委ねる環境も用意しています。完全予約制、定員は6名で90分の入れ替え制です。
残念ながら、多くの人にとって読書という行為が日常から離れつつあるのではないかと思います。ある程度枠を定めて、意識的に読書の時間をつくろうとしないとなかなか難しい。運動で言うと、「土曜日の午前中はジムに行くぞ!」という風に、何曜日のこの時間は運動をする、と決めている人は多いですよね。
腹筋や背筋を鍛えるのも、走るのも、いつでもどこでもできるはずなのにジムに行く。それは、設備が整っているとか、コーチングしてくれる人がいるとか理由はいろいろあるけれど、やっぱり一番はモチベーションと時間のキープ。そのために通っている。
同じように読書もまた、忙しない日常から離れて、自ずと本と向き合おうという気持ちになる、ゆったりとした時間が流れる場所をつくっていくことが大切かなと思っています。オープンから3か月ほど経ちましたが、日々試行錯誤しながら実験の繰り返しです。
それから、身体についての関係性も考えています。哲学や心理学など「没入」に時間がかかるようなジャンルであれば、書架の空間のカーペットを毛足の長いものにしたり、椅子の座面を低くしたりと落ち着いてより集中できる読書環境を整える。
「読め、読め」とポスターを貼ったりするよりは、気が付けば読んでいたという状況を作るために、身体的に訴えかける工夫はたくさんあるのではないかと思っています。照明や家具、館内や書架の案内のためのサインも、細かい事ですけれど、まだまだできる事があるのではないかな。
身体性ということでさらに付け加えると、荒川修作の養老天命反転地のような、身体と頭、脳の知識のバランスにあえて不均衡を生み出していくような、そういうライブラリーがあったら面白いかなと思っています。極端な例ですが、すごく急な坂や3,000段くらいの階段を登って行ったところに本棚があるとか。
今、前者で話したのは、できるだけスーッと本を読んでもらうために、自然と居心地のよさを感じられるような環境に整えること。一方で後者は、身体的に負荷をかけることで五感総動員で本と向き合うような場所をつくることなので、全く別のアスペクトですね。
同じ本でも、読む環境、読む場所によって、読者への染み込み方は変わってくるので、両方の方向からいろいろな可能性があると思います。
――最後にこのブックガイドで「言葉の彫刻」を作るとしたら、どの文章で作りますか?
Ⓒ伊東俊介
※「言葉の彫刻」 本の骨子を凝縮させた一文を立体文字にして掲出する空間演出。 幅さんが関わった文化施設「こども本の森 中之島」(大阪府)で行われています。
そうですね。これはどうでしょうか?
「長年本と付き合っていると、つくづく『本は人みたいだなあ』と感じます。」
もしくは、少し長いのですが、
『本誌のなかで紹介した本が伝えるのは、世界の多様さのごく一部ですが、性急に解を求めず、長い目でのんびり読んでみるのがよいと思います。
過度に答えを期待しすぎず、でも、本から聞こえてくる小さな声には耳を傾けて。』
なんだかいいこと書いてますね(笑)。
――とても素敵な文章だと思います! 本日はありがとうございました。
(記事/日販 図書館営業部)
※本記事は「ほんのひきだし」に2023年9月4日に掲載されたものです。
※記事の内容は、執筆時点のものです。