0を1にできる人を尊敬しています。漫画はもちろん、小説、ドラマや映画の脚本もそうです。何もないところからアイデアを出し、作品にしていく。その作業は、とてつもない力が必要だと思います。
私もいちライターとして「文章を書く」ことはしていますが、0を1にするというより、バラバラにある1を寄せ集めて大きな1にしていくというイメージ。例えばインタビューは、取材相手がもうすでに素材を持っているので、私はそれを集めてまとめるだけなんです。私にものすごく技術があったとしても、“いい素材”がなければ完成はできません。だから、その素材を自らが生み出し、1を作っていける人を心から尊敬してしまうのです。
今回紹介する『ブルーピリオド』(講談社)は、東京藝術大学美術部学部絵画科が舞台。まさに0を1にできる人を目指す話です。※ネタバレを含みます。
『ブルーピリオド』 山口つばさ
「好き」だから乗り越えられるわけじゃない
東京藝術大学、通称「藝大」というと、どんなイメージを持っていますか? 日本で唯一の国立の美大、多浪は当たり前、才能のある人しか入れないなど、でしょうか。主人公の矢口八虎は、高校2年生まで絵を描いていませんでした。なんとなく高校生活を過ごし、適当に遊んで、それなりに楽しむ。将来の夢はないけれど、優等生はキープして、有名大学に入れればOKぐらいの目的ゼロの男子高校生です。その矢口が急に美術に惹かれ、藝大の中でも超難関と言われる油絵科を目指していきます。
これだけを聞くと、いきなり才能が開花して、華やかに大学デビュー! みたいなストーリーを想像するかもしれませんが、全然違います。「藝大を目指す」と決めてから矢口の絵との向き合い方は、壮絶を越える苦しみの連続なんです。
「受験」とは、こんなにも孤独で自分と戦わなければいけないものなのか…。ということを嫌になるほど見せつけられます。最初は楽しくて始めた絵も、矢口にとってそれはどんどん苦痛なものに変わっていきます。
「好きなことをやるって、いつでも楽しいって意味じゃないよ」。
スランプ状態だった矢口がつぶやく言葉です。私もこんな職業なので「好きなことを仕事にできていいですね」なんて言われることがあります。「自由でいいですね」とかも。文章を書くことは嫌いじゃないです。むしろ得意だったから、それを仕事にしたいと思いました。だけど、だからって常に仕事が楽しい! というわけではない。締め切りだって辛いし、どうしても筆が進まないときだってあります。それを簡単な言葉でまとめてくれるなよ! とは思ってしまうのです。矢口の気持ちわかるよって。
でもやっぱり最後まで続けられるのは「好き」だから。矢口なら絵に、私は文章に、心が動いてしまうからなんだと思います。矢口が気持ちをグラグラにさせながら、自分の絵と向き合っていく姿は、痛々しいほどリアルで、切実で、どうしようもなく苦しくて。だけど、ものすごく輝いている。「受験編」は、身につまされる思いで読んでしまいました。
「何者かになりたい」を考える
14巻まで発売中の『ブルーピリオド』では、現在藝大2年生の矢口が描かれています。1年生の始めに「これを絵で描く必要ある?」と教授に言われてからずっと、矢口は自信をなくしています。
実は最近、私も似たような経験をしました。エッセイを書いてほしいと言われたので、自分が今、とても辛くて悩んでいる内容を書いたら「なんのためにこれを発表する必要があるの?」と言われ、結局、ボツに。私の力量が足りなかったのが1番の理由だとは思いますが、テーマも自由だったのにけっこう凹みました。
絵も文章も、好みは絶対にあります。見る人によって評価されることもあれば、厳しい意見をもらうことだってある。だから私は、万人が好きだと思える作品を生み出せる人が1番の天才だと思っています。マイノリティなもので評価を得ることは、もちろん素晴らしいことだと思うのですが、誰もが納得する作品を生み出せる人には、勝てないのではいでしょうか。これはあくまで個人の意見ですが。
矢口は高2で絵を描き始めて、知識もなければ、技術も未熟。「何も持ってない」かもしれないけれど、その分、吸収する力はある。自分が凡人だと感じている人のほうが、万人に受け入れられるものを生み出せるのではないか。私はそう思っています。だから彼には最高のアーティストになって欲しいと願いながら、この漫画を読み続けてしまうのです。