“3つの顔を持つ男”の誕生
―― 担当になった時、すでに『名探偵コナン』は国民的人気作だったわけですよね。プレッシャーは感じませんでしたか。
青山先生がすごく優しくて気さくな方だったので、話しやすい環境を作ってくれていたと思います。個人的には勝手に、「第二の父」だと思っています(笑)。
国民的漫画家の作る、すでにこれだけ売れていて面白い作品なので、まだ2年目の僕が担当したことでつまらなくなることはまずないのでは……と思っていました。
もちろん、もっと面白くなるように手伝えたらいいなとは強く思っていました。赤井秀一や黒ずくめの組織のストーリーが大好きでしたから、「赤井秀一が実はどんな人物なのかもっと知りたいです!」と、熱い気持ちを常にお伝えしていた気がします。先生は面倒臭かったかもしれませんが(笑)。
―― ほかにも、担当されていた期間に生まれた「安室透/バーボン/降谷零」というキャラクターは、2018年公開の劇場版第22弾「ゼロの執行人」で爆発的な人気を得、彼を主人公にしたスピンオフが生まれるまでになりました(『名探偵コナン ゼロの日常』)。
安室透は、当初のネームでは「黒ずくめの組織の一員」というだけで、公安警察という設定はまだなかったと記憶しています。青山先生も僕も、当時より少し前に放送されていた堤幸彦監督のドラマ「SPEC」シリーズが大好きだったので、「公安ってかっこいいですね」「公安モノはわからないことも多いし、大変そう……」「でも、かっこいいですね!」など話していたのを覚えています。
―― すごい熱意(笑)。
青山先生にしてみれば、安室透に公安警察の要素を加えることで『コナン』全体がさらに領域を広げることになるので、どう落とし込むか考えていらっしゃったんでしょう。
安室登場の1話目のネームから原稿執筆に進む段階で、「小倉くん、安室透はやっぱり公安にしようかと思う。嬉しい?」と青山先生に聞かれたのが印象に残っています。作り手としてはとても難しい方向への選択だったと思いますが、僕は若い編集だったので考えも浅く、「嬉しいです!!」と即答しました(笑)。
かっこいいキャラクターなので絶対に人気が出ると思っていましたが、まさかあれほどまでファンに愛されるとは、さすがに予想できませんでした。
―― 青山さんを近くで見てきて、漫画編集者として一番学んだことはなんですか?
「面白いかどうかに対する判断」です。面白い・面白くないって、すごく不明確なものですよね。若手編集だった僕は、面白いかどうかを「自分が好きかどうか」で判断していた部分もあったと思います。今はできている、というわけではないですが(笑)。
青山先生との打ち合わせではよく、トリックを考える時に、仕事場で一緒に映画やドラマ、アニメを観ました。
青山先生は、映画はもちろん、アニメやドラマの新クールが始まるとほぼすべての作品をチェックしていて、「これ面白いよ」「小倉くん、これは観た?」とたくさん教えてくださいました。意外なお話や視点もあったりして、「世間が面白いと思う作品を作っている人が、こういう作品のこういう部分を『面白い』と思っているんだ」と、その時は不思議に思ったりもしつつ、いろいろ質問して、すごく楽しい雑談をしてもらっていました。幸せな時間です(笑)。
ただ、楽しい一方で、青山先生の感じる“面白さ”の基準がどこにあるのか、すごく注意深くお話を聞いてもいました。
見極めるセンスをお持ちで、そのうえで自然な訓練も長年続けてきた方です。お話ししながら、なんとなくでもその基準を理解して掴もうと努力しました。同じ感覚は無理でも、近いところで“面白さ“を理解しないと、コナンにも迷惑をかけてしまうので。
読者としてなら、自分の“好き”の基準で作品を判断すればいいですが、雑誌を発行すること、そこで漫画を連載してもらうことは、会社にとっては「投資」です。
漫画雑誌や単行本を作るうえでのいろいろな諸費用を回収できなければ、商売として成り立ちません。それに作家さんも、本誌で人気を獲得して単行本が売れなければ商売を続けられません。
だから好き嫌いとは別に、「できるだけ多くの人が面白いと思うもの、買いたくなるもの」としての基準を持たないといけないと思っています。
その基準に対して“好き”は人それぞれなので、大なり小なり絶対にズレているんです。そのズレを自覚することがまず大事かと思っています。
トライ・アンド・エラーを繰り返すしかないですが、今もその訓練は意識し続けています。
純度の高い「感情」を求める
―― 小倉さんの“好き”なものを教えてください。
映画が好きで、古今東西問わずに何でも観ていました。学生時代、特に高校生の頃は、アルバイトのお金を投じて、年間に400本くらい。
好きな映画作品は?と聞かれた時に答えている作品があって、「ニュー・シネマ・パラダイス」「グッバイ、レーニン!」「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」「スモーク」。もちろん映画以外に、漫画や小説も昔から好きです。
家の近所に古本屋さんや貸本屋さんもあったので、サンデーだけでなくジャンプ、マガジン、チャンピオンの少年漫画はもちろん、青年漫画含めて、漫画は片っ端から読んでいました。
“物語”が好きなんだと思います。今はフィクションの物語よりも、ドキュメンタリーの番組や小説が多くなりましたが。
―― 物語が好きだったのはなぜでしょうか?
たぶん、現実逃避したかったからだと思います。
満たされた人が「物語」に夢中になることって、あまりないと思っています。内面に欠けているところがあったり、コンプレックスがあったりするから、悩みや考える部分があって、物語を好きになる。僕も根本的にはどこかが欠けていて、だから、ずっと物語を好きでいるんだと思います。
でも今は、職業病かもしれませんが、そういうことを俯瞰して見るようになってしまいました。フィクションの物語よりもドキュメンタリーにたくさん接するようになったのは、編集者という仕事のためです。
―― どういうことでしょう?
おおざっぱな言い方になりますが、僕は、物語は「感情を届ける」ものだと思っています。
漫画は、物語を届けるための一つの媒体、手段であり、感情を漫画に落とし込むことで、絵やキャラ、セリフの巧みさから「感情」が増幅されて、物語として読者に届き、心を動かす。
それが良いものであればあるほど、より多くの人に届き、商業的にも成功して、作家さんの利益にも繋がる。編集者の役割の一つは、そのために「伝道師」として存在することです。漫画を作るお手伝いをして、世に送り出すことを、僕はそういうふうに考えています。
だから「感情」は、物語の素材です。ドキュメンタリーに多く接するのは、事実が描かれていて、そこにあるのがより“生”に近い、本物に近い感情だと思っているからです。ある感情を咀嚼して作家さんにお伝えする時、それが“本物”であるほど説得力があります。
―― なるほど、「素材としての純度が高い」ということですね。
そうです。趣味という意味での“好きなもの”は少なくて、入社以来、先輩たちからずっと「趣味を作れ」と言われ続けてきました(笑)。
基本的には四六時中漫画のこと、物語や作家さんや読者のことを考えているので、合間の時間は、「漫画モード」からログアウトして頭の中を空っぽにしようとしています。西森先生と一緒にやっていたゲームを、一人ひっそりと何年も続けているとか(笑)。
「その時どう思ったの?」
―― 原さんのお話に「好きなものを定点観測して、時代の移り変わりを感じる」という内容があったのですが、小倉さんは漫画づくりにおいて、どれくらい時代性を意識しますか。
無意識に反映されていることはあると思いますが、意図的に意識しないようにしています。というのは、人間の本質は今も昔もきっと変わらなくて、そこに欠点も含めた人間としての普遍的な魅力があり、時代を反映していることよりも、そういう人間臭さを掴んでいることのほうが、作品の求心力に繋がっていると思うからです。
人間の本質を掴んだうえで世相をうまく織り交ぜられたらいいのかもしれませんが、僕はどうしても“芯の部分”にあるものを見ようとしてしまうので、そのあたりの器用さがないんです。作家さんが取り入れたいとおっしゃっている場合はもちろんできるだけ調べて打ち合わせしますが、積極的に時代性を盛り込む提案はあまりしないです。
面白さの核にあるものはやっぱり「感情」で、それをどういう形に表現すれば、エンタメとして読者が受け取ってくれるか。それをいつも考えています。
漫画には「画」という感情表現の見えやすい部分があり、それが面白さを作る一つの要素ですが、設定やストーリーは、それだけだとただの情報の羅列です。それを面白くするのは、そこに感情があるか、人間がいるかだと思っています。よく言われる「キャラクターが描けている」というのは、つまりそういうことだと思います。
―― そこに行き当たるために、編集者としてどんなふうにアプローチしていますか。
漫画家さんに描いてみていただかないとわからない部分が大きいので、まずは編集意見を途中で挟まずに、作家さんの描きたいものをそのまま描いてもらうことが多いです。そして、感情の核の部分が作品にあるかどうかを、ネームの時にかなり注意深く拝見します。
また、核の部分があったとしても、漫画として面白いかどうかは別です。そういうことを細分化して、感想をお伝えしながら、打ち合わせします。
―― 原さんが、小倉さんは「その時どう思った?」が口癖だとおっしゃっていました。
なるほど(笑)。新人漫画家さんの場合が特に多いですが、描きたいものが自分の中にあるんだけれど、どう落とし込めばいいのかが見つかっていなかったり、描きたいものを漫画家さん自身がまだ明確に意識していない場合があります。
そういう時に言っているのかもしれないです(笑)。「どうしてこのシーンで、このキャラはこういうセリフを言うんですか?」「この時どういう感情になっているんですか?」と聞いてみることで、どこに“核”があるのかを見つける手助けになれたらと思っています。あと、僕も漫画家さんの心の奥底をまず知りたいからです(笑)。
それに“核”の部分って、本人からしてみるとあまりに当たり前のことだったりするんです。
「ここをもっと掘り下げてもらいたいです」「この部分にきっと人間らしさがあるので、キャラクターが魅力的になると思います」とお伝えした時、「当たり前すぎて描くほどのことじゃないと思っていました」と先生がおっしゃることも時折あります。