藤沢周平の名作傑作-この夏こそ読みたい 何度でも読み返したい-
江戸時代を舞台に、下級武士や市井の人々の悲哀や心の機微を細やかな筆致で描き、時代小説の名手として数多くの名作を残した藤沢周平。深い人生観から生まれた作品の数々は、亡くなって27年が過ぎたいまも多くの人に愛されています。なぜ、藤沢作品が人の心をとらえ、読み継がれるのかーその尽きない魅力の源泉を探りました。
いまも愛され続け 魅力の尽きない藤沢作品
時代を超えて共感を呼ぶ 普遍性のある作品
ファンにとっては好きな作品を一つ選ぶのも難しいほど数々の名作を生み出し、時代小説の名手として知られる作家・藤沢周平。鶴岡市高坂に生まれ、1997年に69歳で亡くなりましたが、没後27年が経ったいまも藤沢作品は多くの人に愛され、読み続けられています。
その尽きない魅力を、「父の書く小説のテーマには、普遍性があるからだと思います」と語るのは、藤沢周平の長女でエッセイストでもある遠藤展のぶ子こさん。
「父はよく、江戸時代の人も現代の人も、中身はそう大きく変わらないと言っていました。読む人は、どの作品を読んでも必ず自分と重なる部分があり、小説の中に自分との共通点を見つけて、共感する部分があるのではないでしょうか」
確かに藤沢作品は、江戸時代を舞台に家族の問題、仕事や組織の中での理不尽な出来事、恋愛、青春など、誰にでも起こりうる日常をテーマにしたものが多く、時代は違っても現代の暮らしと通じるものがあり、読者が身近に感じる作品ばかり。しかも、人情の機微や喜怒哀楽など丁寧な心理描写が光り、読み進めるうちに、いつのまにか作品の世界に引き込まれてしまいます。時代を超えて共感を呼ぶ普遍性のある作品「時代小説はどうしても難しいと思われがちですが、父の小説は文章も読みやすいので、それも読み続けてもらえる理由の一つではないかと思っています」
武家もの・市井ものを中心とした時代小説だけでなく、史実を尊重しつつ、綿密な考証と想像力から生まれた歴史小説、歴史上の人物の謎に迫った伝記小説など、多彩な作品に幅広い年代のファンがいます。
「親・子・孫の3代で読んでいるとか、おじいちゃんの本棚から借りて読んだと聞くとうれしいですね」
初めて読む人にも親しみやすく、何度読み返しても新しい発見があるのは藤沢作品ならでは。世代を超えて愛され、読む人の心をあたたかくしてくれる豊かな作品世界が、いまも多くの読者を魅了しています。
小説の舞台「海坂藩」はふるさと鶴岡・庄内がモデル
風景も城下の川や町並みも情景が重なる「海坂藩もの」
藤沢作品のもう一つの魅力といえるのが、武家もの小説の舞台として登場する「海うな坂さか藩」。東北の小藩を連想させる架空の藩で、江戸時代の庄内地方がモデルとされ、周りの山や海、城下を流れる川や町並みなど、小説に描かれた「海坂藩」の情景は藤沢周平のふるさと鶴岡・庄内の情景と重なります。
作中にはっきりと「海坂藩」と書かれていない物語でも、風景や城下の様子、食材や料理から「海坂藩」を思わせる作品は多く、これらはいつしか「海坂藩もの」と呼ばれるようになりました。
この「海坂藩」という藩名は、じつは藤沢周平が療養生活を送っていた頃に投句した静岡の俳誌「海坂」に由来しているとか。言葉の美しさと懐かしさから、無断借用したことを自身のエッセイに綴っています。
「普通が一番」に込められた深い人生観が作品に
遠く離れても、ふるさとへの思いを抱き続け、小説の舞台とした藤沢周平。「普通が一番」が口癖だったといいますが、その人生は「普通」とはかけ離れたものでした。
地元の鶴岡中学校夜間部を卒業すると山形師範学校に進み、卒業後に湯田川中学校に赴任。しかし、肺結核が見つかり、わずか2年で教職を去ることになります。上京して闘病生活を送り、快復すると東京で業界新聞の記者として働きはじめ、やがて小説を書くように。その後、結婚して娘の展子さんが誕生しますが、幸せな日々は長くは続かず、妻が病気で他界してしまいました。
「父のいう普通は〝家族が元気で仲良く暮らすこと〞というものでした。一見簡単なように思えますが、それを保つのは難しいことを、父自身が誰よりも知っていたのだと思います」
小説家として名を成してからも、「父は、普通に生活すること、目立つこと派手なことはせず、身の丈にあった生活をすることにこだわっていました」と振り返る展子さん。
こうした深い人生観から生まれた作品だからこそ、その輝きはいまも色褪せることなく、読む人一人ひとりの胸に迫るものがあるのでしょう。
作家への道のりと生涯、深い作品世界を味わう
人生の歩みを辿り藤沢文学に親しむ記念館
かつて鶴ヶ岡城があった鶴岡公園。その豊かな自然に囲まれた瀟洒な建物が「鶴岡市立藤沢周平記念館」です。藤沢周平が亡くなり、映画「たそがれ清兵衛」が公開されると、作品の原風景を訪ねて鶴岡・庄内に来る人が増え、記念館を望む声が。その声に応えて2010年、藤沢文学の作品世界に触れ、作品をより豊かに深く味わう拠点として開館しました。記念館は「庄内一円が藤沢文学のミュージアム」をコンセプトに、常設展示のほか定期的に企画展を開催。県内はもちろん東北や関東から訪れるファンも多く、藤沢周平の根強い人気を物語っています。
常設展示の第1部は「藤沢文学」と鶴岡・庄内の美しい四季の風景、作品『蟬しぐれ』『春秋山伏記』などの一節をスライド映像で紹介。第2部は全作品の初版単行本のほか、1976年から亡くなるまで住んでいた自宅の書斎を移築し、再現した展示も見どころの一つです。第3部では郷里の人々との交流、作家になるまでの道のり、家族との日々の暮らしを紹介。囲碁セットなどの愛用品も並んでいます。
特定のテーマや作品に焦点を当てた企画展は現在、テレビドラマにもなった人気作品の『獄医立花登手控え』をテーマに開催中。作品への理解が深まるよう、登場人物や舞台となっている江戸小伝馬町の牢屋敷の様子、江戸時代の刑罰や医療事情など時代背景の紹介とあわせて貴重な自筆原稿や創作メモを展示し、作品の魅力を紹介しています。
記念館でじっくり藤沢周平の世界を堪能した後は、城下町の風情を感じながら鶴岡市内に点在する作品ゆかりの地を散策する楽しみも。
この夏、お気に入りの藤沢作品を開けば、心にさわやかな涼風が吹き、夏の暑さもやわらぎそうです。
藤沢周平氏の長女でエッセイストの遠藤展子さんが選んだ「この1冊」
時代小説も歴史小説も読んでほしいこの名作傑作
『藤沢周平 父の周辺』をはじめ、父・藤沢周平に関わるエッセイを多く執筆している遠藤展子さん。最初に読んだ藤沢作品は、直木賞受賞作の『暗殺の年輪』で、10代の終わり頃だったとか。「暗い小説でしたが、小説を通して普段とは違う父の姿に触れ、それからは次々と父の作品を読むようになった」といいます。
幼い頃から原稿用紙に向かう父の姿を身近で見て育ち、作家・藤沢周平の一番のファンでもある展子さん。時代小説、歴史小説、伝記小説など、さまざまなジャンルの名作傑作の中から、展子さんが選んだおすすめの「この一冊」を紹介します。
遠藤展子(えんどう のぶこ)さん
1963年(昭和38年)、藤沢周平氏の長女として東京に生まれる。西武百貨店書籍部勤務ののち、1988年に結婚し遠藤姓になる。現在は藤沢周平氏に関わる仕事に携わっている。著書に『藤沢周平 父の周辺』(文春文庫)、『父・藤沢周平との暮し』(新潮文庫)、『藤沢周平 遺された手帳』(文春文庫)がある。
江戸の市井の人々の人間ドラマなら…『獄医立花登手控え』シリーズ
『獄医立花登手控え』シリーズ全4巻
文春文庫 627円~671円(税込)
若き青年医師・立花登が、起倒流柔術の妙技とあざやかな推理で、小伝馬町の獄舎に持ち込まれるさまざまな事件を解いていく連作集。
若い世代に読みやすい作品は…『蟬しぐれ』(上)(下)
『蟬しぐれ』(上)(下)
文春文庫 各748円(税込)
海坂藩下級藩士の子・牧文四郎が、淡い恋、友情、突然一家を襲った悲運など過酷な運命に翻弄されつつ成長していく姿を描いた長篇。
藤沢作品を初めて読む人に…『橋ものがたり』
『橋ものがたり』
新潮文庫 825円(税込)
江戸の橋を舞台に、出会いと別れなど市井の人々が繰り広げる喜怒哀楽の表情を瑞々しい筆致で描いた物語10篇を収めた連作短篇集。
武士が主人公の時代小説では…『三屋清左衛門残日録』
『三屋清左衛門残日録』
文春文庫 825円(税込)
家督を譲り、隠居の身となった清左衛門の日記「残日録」。世間から隔てられた寂寥を感じながらも老いゆく日々の輝きを描く連作長篇。
心を揺さぶられる短篇を読みたいときは…『隠し剣』シリーズ
『隠し剣』シリーズ全2巻
文春文庫 各814円(税込)
秘剣の術を知るがゆえに藩の陰謀に巻き込まれた男たちが、凄まじいまでの決闘に挑む短篇連作。剣客小説に新境地を開いた名品集。
明るさとユーモアのある物語といえば…『用心棒日月抄』シリーズ
『用心棒日月抄』シリーズ全4巻
新潮文庫 781円~990円(税込)
故あって人を斬り脱藩、国許からの刺客に追われる身ながら、江戸での生活のため用心棒稼業に手を染めた青江又八郎の数奇な物語。
構成・文/たなかゆうこ
取材協力・監修・写真提供/(株)藤沢周平事務所(遠藤崇寿・遠藤展子)鶴岡市立藤沢周平記念館(撮影 八尾坂弘喜) 〈敬称略〉