東ヨーロッパに位置し、東西文化の交差点として発展してきたセルビア。その第二の都市ノヴィサドにある絵本・児童書専門店は、子どもたちと本が出合うとっておきの場所だ。書店オーナーの愛にあふれた空間がそこにある。


子どもたちはお気に入りの本を自分で探して、自由に手に取り、いすに座って、ゆっくりと選ぶことができる。


 カーチャ・グレゲツさんにとって、子ども向けの書店を開くことは必然だった。幼少期から本を愛し、本に囲まれた生活を送り、大人になると、保育士あるいは小児言語聴覚士として子どもたちと直接関わる仕事に従事した。その中で、本が子どもたちの言語能力、想像力、社会性の成長をうながすことを身をもって痛感。やがて「子どもたちが快適に、安全に、温かな環境のなかで本と出合える場所」を求めて、自ら書店を開業することを決意した。法律事務を学んでいた娘のティヤナさんの後押しもあり、2023年2月、絵本・児童書を取り扱う書店「クニゴリュバツ」はオープンした。店名はセルビア語で「本好きの人」という意味だ。


本たちが住む小さな町


 クニゴリュバツはセルビア第二の都市ノヴィサドの中心地から少し離れた大通りの一角にある。店舗は高層マンションの一階に構えるが、入口は路地裏に面していて、雑踏とは無縁だ。書店の外壁部のガラスには動物や乗り物のイラストが描かれていて、一目で子ども向けの店であることがわかる。店内はパステルカラーに彩られた壁と木目調の本棚が並び、子どもたちがワクワクするような楽しげな空間が広がっている。決して広いとは言えない店だが、カーチャさんの狙いはそこにある。
 「小さな本屋だからこそ、子どもとの距離が近く、一人ひとり丁寧に接することができます。本であふれすぎないようにスペースにゆとりを持たせ、子どもの年齢に応じて本の置く位置と高さに配慮しています。この本屋の最大の強みは、子どもたちが本に対して好きなだけ専念できること。気になった本を手に取り、いすに腰掛けて、ゆっくりとページをめくる。ここは言うなれば、“本たちが住む小さな町”です。子どもたちが本と出合い、本とともに成長できる空間です」
 店内には、国内外の現代作家の絵本や児童書、世界各国の古典文学を中心に約2700タイトルが並ぶ。「ここにある本のほとんどが、私と娘が実際に目を通し、納得した上で仕入れたもの」とカーチャさん。選定には絶対の自信を持つ。一方で、嗜好が無意識に偏らないように、お客さんの視点に立つことも忘れない。本好きの子どもや保護者の意見に耳を傾け、店にない本をすすめられたら、積極的に取り寄せるようにしている。子どもたちが「この前にこんな本を読んだ。すごく面白かった」と話せば、それを集めた“本好きの私たちが君たちにおすすめする本”という特設コーナーを作り、同年齢の子どもたちに情報を共有するのだ。


子どもの視線を考えた陳列。タイトルやデザインがわかるように、本の表紙を前にしたり、手に取りやすいように意識している。


店内が狭くても、大きな窓があることで明るく開放的な空間を実現した。外から中の様子がうかがえるのも開かれた印象を与える。


オーナーのカーチャ・グレゲツさん。子どもと一緒にいる時間が楽しくてしょうがないと言う。


子どもとのコミュニケーションを楽しむ


 出版社からの推薦本、売れ筋の本を置けば、他店との差別化を図れない。市内には大手書店チェーンが中心地や郊外のショッピングモールに店舗を展開している。当然、取り扱う本のジャンルは豊富で、絵本や児童書の数も多い。ただ、現場の店員は本の陳列、レジの対応に追われがちで、お客さんはふらりと立ち寄ることがほとんどだ。そこにコミュニケーションは存在しないし、求められてもいない。カーチャさんの店は正反対だ。
 「私たちはお客様に寄り添い、喜んで購入のお手伝いをします。子どもとの会話を通じて、どんなジャンルが好きなのか、どんなトピックに興味があるのか、どんなイラストが好きなのかをヒアリングをした上で、適切な本を推薦しています。なかには、子どもへのプレゼントに何を買えばいいのかわからない、という大人のお客様もいらっしゃいます。その場合は、お子さんの年齢や興味に応じて、いくつかの選択肢を提案します。そういうお客様とのコミュニケーションを楽しんでいるんです」
 書店のコンセプトとカーチャさんの人柄は様々な客層に受け入れられ、順調にファンを増やしている。店内の居心地が良くて、気がつけば長居しているお客さんも多い。6歳の息子さんを連れて初めて店を訪れたというソフィヤさんもその一人だ。「大型の書店チェーンは整然としていて、客層もさまざま。お客さんの数も多くて、独特の緊張感が漂っています。ここはオーナーの方が親身になって接してくれるし、家庭的な雰囲気に包まれていて、とても気に入りました。また必ず来ます」


本の読み聞かせ、ワークショップ、作家のトークショーなど、イベント開催にも力を注いでいる。「子どもたちと緊密なコミュニケーションが取れることが一番の魅力」とカーチャさんは話す。



年齢、テーマ、興味、季節の行事に関連した特設コーナー。6月と7月はパリオリンピックを直前に控えていることから、スポーツの歴史や職業に関する本が並んでいた。


子どもたちから愛される書店であり続けたい


 開業以降、お客さんの「子どもたちが集まる交流会を開催してみては」という意見に応えて、いくつかのイベントを実現した。作家によるトークショー、人形劇、中でも一番人気なのは、首都ベオグラード出身の教師スラジャナさんによる本の読み聞かせだ。子どもたちからも保護者からも評判が高く、毎月一度の恒例イベントになった。
 「彼女は非常に創造的な方法で登場人物の特徴や違いを出し、子どもたちを物語の世界に引きこむことができます。本の読み聞かせとは、本をただ読むことではなく、本に命を吹き込む行為です」
 カーチャさんは読書が子どもたちに前向きな影響を与えることを強く信じている。それは前職時代からわかっていたことだが、書店を始めてからさらなる確信に変わった。
 「本は子どもたちを寝かしつけ、起こし、楽しませて、育てて、慰めて、愛して、理解して、教えて、守るものです。私たちは本が想像力を豊かにすることを知っています。読書を通じて、子どもたちは、世界で一番高くて、深くて、遠いところまで旅することができます。想像を絶する距離を一瞬で縮め、世界の人々、登場人物と出合うことができます」
 今後はどんな書店を目指すのだろうか。少なくとも、売場面積を拡大したり、別の場所に新店舗をオープンしたりする考えはないという。
 「私の人生はいつだって子どもと本に対する愛情で満たされていました。今は本と子どもたちに囲まれた、夢のような職場で働いています。これ以上美しいものは想像もできず、望むこともできません。私たちに課された使命はいつも同じ。“本を子どもたちに返し、子どもたちを本に返す〟ことです。これから先も、子どもたちから愛される、小さくて温かな書店であり続けたいですね」



※本記事は『八文字屋plus+ Vol.7 夏号』に掲載されたものです。
※記事の内容は、執筆時点のものです。